短編映画「カランコエの花」を観て
はじめに

舞台挨拶の様子
2018年7月20日に、新宿のk’s cinemaで中川駿監督の「カランコエの花」を観てきました。映画のあらすじの紹介と観た感想を書きます。感想にはネタバレがありますのでご注意ください。
あらすじ
舞台はある地方都市の高校。ある日、自習の時間に、養護教諭による「LGBT」の授業が唐突に始まる。突然のことに戸惑いながらその授業を受ける生徒たち。その後、この授業は他のクラスでは行われていなかったことを知った生徒たちに、ある疑問が生じる。このクラスにLGBTがいるのでは? 生徒たちはそれが誰なのか考え始める。
2016年の作品で、39分の短編映画です。
感想
以下、ネタバレが含まれるので、まだ観ていない方はご注意ください。
「カランコエの花」は、新宿のk’s cinemaでは1週間のみの限定公開で、かつ、連日満席で午前中には整理券がなくなっていました。私は、前売券(特別鑑賞券)を購入したのに観られないのではと心配でした。しかし、最終日になんとか観ることができました。苦労して観た甲斐のある素晴らしい映画でした。
この映画で一番よかったシーンは、エンドロール(スタッフロール)で、レズビアンである小牧桜が養護教諭の小嶋花絵に対して、主人公の一ノ瀬月乃に対する恋心を吐露する場面です。真っ黒な背景にエンドロールが流れているところに、二人の会話だけが流れるため、桜がどんな表情で月乃の好きなところを語っているかを想像するしかないというのが、素敵な演出でした。月乃への想いを人に聴いてもらえること自体も嬉しいと桜が感じているように思えました。
私はこのシーンを観て(聴いて)、自分の性的指向をオープンにできないということは、自由にこのような恋バナもできないことを意味するということがわかり、それはつらいなと実感しました。
私は、新宿二丁目やLGBT関連イベント、事務所の相談室という性的指向をオープンにできる場でしか、当事者との関わりがないので、こんな当たり前のことすらも身をもって実感するのは難しいのだとわかりました。
映画の最後で、桜のいない教室で、教師が朝の出欠をとっているところで、月乃が泣きながら母親からもらったシュシュを外します。この行為の意味はさまざまな解釈ができそうです。このシュシュは、「あなたを守る」という花言葉をもつカランコエに似ていて、その花を月乃の母親が好きであったため、娘にプレゼントしたものです。つまり、友人である桜を守りたいという月乃の気持ちを象徴する小道具です。
このシュシュを最後に泣きながら月乃が外す行為は、「桜はレズビアンではないよ」という形で桜を守ろうとして、逆に友人を傷つけてしまったことへの後悔を表しているとも解釈できます。他には、そもそもセクシュアルマイノリティは庇護しなければならない弱者ではないということを示すメタメッセージと解釈することもできます。私は後者の解釈の方がしっくりきます。
もともとこの映画は妻と一緒に観るつもりで、前売券を2枚購入しました。今回は仕事中に一人で観たので、前売券が余ってしまいました。しかし、この映画は2018年8月中旬にアップリンク渋谷でも上映されることが決まり、K’s cinemaの前売券も使えるということなので、もう一度観に行くことにしました。
著者プロフィール

- 弁護士
- 作家であり新宿二丁目のミックスバーのママ・伏見憲明氏から多大な影響を受け、LGBTに対する法的支援をライフワークとして取り組んでいます。LGBT支援法律家ネットワーク、同性婚人権救済弁護団、「結婚の自由をすべての人に」弁護団等に所属。
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